真・神話
今までは動植物とのやり取りをメインにブログを書いてきましたが、実は私は別世界では“大物中の大物”と呼ばれる存在だそうです。以前のブログを読んだ事のある方は猫との事がきっかけと思われるでしょうが実はそうではなく、元々私がそういう存在そのものだったそうです。しかし本来人間が生きている間にその連絡が来ることはまれで、猫の事で私があまりにもすさまじい悲鳴を上げたがためにやむなく連絡が早まったとの事です。また、私の存在は一つの別世界に留まらず幾つもの別世界や宇宙などと表現される世界に亘っています。
しかしその事実を私自身が理解し受け入れるまではとても悩みました。だってどう考えても“ありえない事”すぎましたからね。だれにも信じてはもらえないと思いますし証明する事も不可能ですが、とてつもない事を私がやってのけたと言われたのです。しかし否定する事も出来ませんでした。なぜならばあまりに突拍子もなさすぎて逆にうそに思えませんでしたし、現に私自身知っているはずのない『宇宙語』をしゃべっているのですからね。その相手が神仏といってもいいのですがそれだけではないともいえるんです。
ここに載せる予定の物を私としても本当は人の目に触れさせるのはどうかと思い悩みましたが、これから書く様々な事が別世界でのそれぞれの真の姿なんです。『真・神話』のみならず他に書いたものもそれぞれの世界で起った出来事やこれから起る出来事も書かれています。
尚、このブログに限らず書かれている文章では一般的な表現と異なった表記がされていることもしばしばですが、それらの表現も全てそれぞれの世界で使われている普通の言い方や意味と思ってください。
真・神話
ラグナカルタ
北欧神話の「ラグナカルタ」の原因となった“バルバドスの死”を防ぐ。
バルバドスの死が神々の怒りを引き起こし、ロキッシュは洞窟に閉じ込められ蛇の毒を与えられる。ロキッシュの子どものウロボロスは胴に槍を突き立てられ、その場から動けなくなる。左目も剣で失った。娘たちは地獄に閉じ込められた。地獄の王妃は「子どもは関係ないのに…」といったために、怒った神に地獄の犬に変えられる。地獄の王は何もいえなくなる。ロキッシュの妻は蛇の毒を夫の口に入らないように神が与えた杯で受け続けるが、毒がたまれば河まで捨てに行かなければならない。毒は杯から一滴したたるまで受け続ける。蛇の毒が妻の顔にかかり、顔は火傷を負ったようになっている。
蛇は毒を吐き続けさせられることを恨んでいる。河まで歩いていく途中は周りの植物から「おれたちを汚すな」といわれ続け、河に捨てれば河から「毒を流すな」といわれ続ける。毒を流すときに毒が手について火傷のようになる。杯がない間ロキッシュは毒が口に入り悲鳴を上げ、もがき苦しむ。
長きにわたりロキッシュの悲鳴が神々の国に響き渡り、神々の中にもうんざりする者たちが増えていった。「子どもは関係ない」というものたちも少なくなかった。
やがて嫌気がさした神々が“長老”と呼ばれる神の国に住んではいるが、神とは異なるものに救いを求めにいった。
長老は“神々の王”にどうするかを尋ねた。王は「いまさら変えられん」と戦いを決意した。長老は何もいわずに王の許を去った。長老は弟子の少年に「去れ」と告げ、少年は杖を持って長老の許を去った。少年が去ると少年の後ろで扉が閉まり、少年の前に白い道が現れた。
その後ラグナカルタは起きた。
ラグナカルタの後女性はバルバドスを助けるために遠い世界へとやってきて、バルバドスの死を防ごうとした。バルバドスの母が、幼い宿り木に誓いを立てさせようとしたのを邪魔したロキッシュを制し誓いを立てさせようとしたが、ロキッシュに気を失わされた。
宿り木を投げようとした盲目の少年に「投げるな」と叫んだが、ロキッシュのマントに阻まれ、少年に聞こえなかった。盲目の少年に「男が持ってきたものを投げてはいけない」と前もって言ったが、ロキッシュは老婆に変して少年に宿り木を投げさせた。
宿り木を投げることを防げないと知った女性は、他の方法を考えた。
やがて宿り木の下からかすかに聞こえるうめき声で、バルバドスが生きていることを知った。宿り木は投げられただけで自分が何をやったかを知らず、バルバドスに止めを刺すことは誰も言わなかったのでバルバドスは死んでいなかった。女性は宿り木を抜こうとしたが、既に長き時が経ち、巨木と化した宿り木を抜くことは容易ではなかった。
女性は近くの山村に行き村中の人々を集め、宿り木の許まで連れて行き宿り木の根元を掘り起こして抜き取らせた。そのことに要した歳月は長きにわたった。その間の村の生き物や作物は女性が一人で世話をし続けた。
やがて村人たちは巨木を抜き取り、村へと帰っていった。村は人々が出て行ったときとなんら変わりはなく、人々には巨木を抜き取りに村を離れたという記憶も残っていなかった。しかし、村の蔵には村で取れた農作物や新鮮な卵などが大量に残されていた。人々は理解できないまま戸惑っていた。
バルバドスを救い出した女性は“バルバドスがバルバドスのままでいれば同じことが繰り返される”という何人かわからぬものの言葉により、バルバドスを別人として蘇らせることとなる。
そのため宿り木を若き者として、自らが何者かもバルバドスが何者とも知らぬまま世話をさせた。バルバドスは生きているのみの存在に過ぎなかった。宿り木はバルバドスのため“中国の薬草”“トルコの命の石”“ドイツの水と機械”を手に入れるために旅にでた。その間バルバドスは眠っていた。中国の薬草とドイツの水と機械が手に入り、残すはトルコの命の石のみだった。しかし“命の石”を手に入れるのは容易なことではなかった。命の石はある赤ん坊の心臓の裏にあることがわかった。宿り木は「赤ん坊の命はとらない。ただ石が欲しいだけだ」といい続けたが誤解を受け、すさまじい拷問を受けた。宿り木を括り付けた石車が石畳を轟音を鳴り響かせて走っていった。血のぬめりと臭いはいまだ消えない。
やっとのことで全てを手に入れた宿り木はバルバドスの元に戻り、必要な手当てを行った。命の石の表には「恨みを忘るる事なかれ」裏には「去(リッシン)」と印を記し、バルバドスの心臓の裏に石を裏にして置いた。
しかしバルバドスが目覚めることはなく、やがて宿り木が老いて死を目前としたときにバルバドスの横に横たわりバルバドスの手に触れ「わが身を与える」といって死んだ。
バルバドスは宿り木の最期の言葉がかすかに耳に残りやがて動いた。“見る”事も“聞く”事も何もわからぬまま、宿り木が用意していた服を着て外へでた。歩き出したバルバドスはやがて港に出た。
そこで一人の男がバルバドスの前に皿を差し出した。バルバドスは何もわからぬままぼんやりしていた。男はバルバドスの目の前でスプーンで皿のスープをすくい自分の口に入れ「喰え」と言い皿を押し付けるように差し出した。
バルバドスはゆっくりと手を伸ばしてスプーンを取りスープをほんの一滴すくって口に入れた。(それに要した時間は想像を絶するに余りある)男は黙って皿を差し出し続けていた。バルバドスは再びスプーンでスープをすくい口に入れた(時間と量は前回より早くて多くなった)。数回繰り返した後、ふと気づくと男の姿はなかった。
バルバドスは港から船で旅にでた。ある島で降りたバルバドスは島の神殿の跡に向かった。その神殿の中に入るとある壁に向かった。すると神殿の地下へと続く階段が現れ、バルバドスはその階段を下りていった。着いた先には玉座に座った王と王妃がいた。王妃はバルバドスを見ると涙を流し「やっと戻った」といった。やがて王妃がバルバドスに「どうする?」と尋ねるとバルバドスは「戻らない」と言った。すると王と王妃は姿を消した。
その後バルバドスは港で元気な笑顔を見せながら働く、たくましい青年となった。
宇宙船の中、ベッドに横たわった老人(バルバドスを世話し続けた宿り木)に女性が「お前は終わった」といい、老人は「ほっとした」といった。女性は「なんとする」と尋ねると、老人は「違う世界に行きたい。争わずにすむ世界がいい」女性は「お行き」というと、老人の体は砕け散り、霧のようになって宇宙船の窓から去って行った。その後ろ姿に女性はつぶやいた。「お前はもう自由だ。好きに生きるがいい」2008.9.29(MON)
小さな小さな小さな神様
小さな小さな小さな神様が現れました。とても小さすぎてだれも神様だと思わなかったくらいでした。
その小さな小さな小さな神様が世界の真ん中にいつまでもいつまでもいつまでもい続けてくれるんです。2008.10.2(THU)
神の死
神は“力”ただの力の現れに過ぎない。ひとつの役割にひとつの神が生じてひとつの役割を果たす。事が終われば正反対の神が神に死を与える。
“正反対の神”もまた“神”つまり“力”に過ぎない。
全く同じ力が正反対の方向へ向かうに過ぎない。その力と力がぶつかり合ってともに死ぬ。それが“神の死”
神の死には“絶対的な完璧”が必要で、僅かでも神の死にずれが生じると面倒なことになる。
朝起きるのも、息をするのも瞬きをするのも全てが本来神によるもの。そして全ての神に対して死が与えられる。だが今はしないが本当は若干の説明が要る。
これが“私の世界”私の世界では善悪も吉凶も全てプラスマイナス0となるのが“絶対的な全て”
2008.10.6(MON)
錫杖
お坊さんが持っている“錫杖”という物がある。古くから修行僧などが身を守るために持つ護身用のものとされてきたが、ある存在の持つ“錫杖”は様々な役割を持つ。あるときは“喜びの音色”あるときは“力の存在を示す”あるときは“道しるべ”そして“破滅”全てを指し示すものなり。錫杖の音(ね)を喜びとするものあり。勇気とするものあり。錫杖の身の重さ、重いとするものあり、軽いとするもあり。その身を振るえば“破滅”となる。2008.10.14(TUE)
クリシュナの踊り
インド神話のクリシュナ神は神々の怒りに触れた人々のため岩もて、大いなる雨から人々を守り、人々を退屈から救うため踊り続けました。しかし長き年月、雨の中することなくクリシュナの踊りを見続けた人々はやがてクリシュナの踊りを楽しむことを忘れ、空ろな中にいました。クリシュナは自らが踊り続ける意味を忘れ、虚しさの中に踊り続けていました。やがてクリシュナと人々の空ろな瞳を見たある少女は傘を持ち巨大なクリシュナの体をよじ登り、クリシュナの目の前で傘を開き、傘をふり、踊りを踊りだしました。クリシュナが目の前の踊るものに気付くまではながーくながーくかかりました。やがてやっと何者かが目の前で踊るのを気付いたクリシュナは“なにをしている?”と訊ねました。“あんたが空ろだから、あんたの目の前で踊ってあげる。見えるでしょう”“バカかお前は”“うん、かもしんない”やがて少女の踊りを見るクリシュナの瞳に光が戻り、クリシュナの踊りも楽しい踊りへと変わっていきました。クリシュナの踊りを見る人々の瞳にも光が戻りました。 少女は“なんで岩をもって踊っているの?”と聞きました。クリシュナは“雨がやまぬ”といいました。少女は下を指差し“あの人たちはなにをしているの?”と聞きました。クリシュナは“雨がやまねば何もできぬ”といいました。少女は“(雨がやむのは)いつ?”クリシュナは “わからぬ” “(理由は)どうして?” “神の怒りだ” “神様って今も怒っているの?” “とうに忘れたであろう。雨を止めるを忘れたのだ”といわれ少女は “じゃあ雨を止めればいいじゃない”というとクリシュナは“どうやって?”といいました。少女は“簡単だよ。あそこを塞げばいいんだよ”と言うと空に開いた穴を持っていた傘を投げて塞ぎました。少女は踊りながら雨がどこから降って来るかを見ていました。空に開いた穴から水が漏れているのを知っていました。傘はすっぽりと穴にはまり、雨は数滴もれただけでやみました。長き年人々は岩の下にいましたが雨がやみ、日が射しだして岩の下を去りました。その後姿を見ていたクリシュナ2008.10.16(THU)
ラグナカルタ(地獄編)
ロキッシュが盲目の少年に宿り木を投げさせバルバドスが倒れた後、怒った神々はロキッシュの子供たちを捕らえ罰した。ウロボロス(地を這う者)は剣で刺されその場から動けなくされ、目をつぶされた。命を奪うを望みし神より、あるものが命のみ守った。そのものはウロボロスに「時を待て」と告げた。しかしウロボロスはそのものが自らの体を剣で突き刺し目をつぶしたものと思い、恨んだ。三人の娘は生きたまま地獄の火に覆われ恐怖におびえた。ハーデスは「罪なき者を地獄に置く事はできぬ」と告げたが、許されなかった。ハーデスの妻は「子どもに罪はない」といい、神に殺された。ハーデスはロキッシュの娘を守ることと妻を生き返らせるを望んだ。しかしそれを行なうは“定掟(さだめ)を変えること”となる。例え地獄の王といえどもけして許されることではなかった。告げられしものは躊躇した。ハーデスに「定掟(さだめ)をかえるはできぬ。お前は王ではなくなる(地獄の世界が破滅する)」とハーデスに告げた。しかしハーデスは「それでもいい!!」と望んだ。告げられしものはロキッシュの娘を“火”と化し、娘たちは火を恐れることなく踊るを知った。 ハーデスの妻の首を切り取り犬に姿を変えた。しかし定掟を変えし者はその身をもって償わねばならぬ。行いし者は自らの首を妻の代わりに腐らせ、両腕を火で焼き尽くした。しかしロキッシュの娘は三人。もう一つの腕を火に求められ続けていた。告げられしものに代わりに腕を差し出したものは、腕を食いちぎられた。そのもの腕を差し出すまで両腕を火で焼き尽くされ続けし者、苦痛の悲鳴を上げ続けた。
定掟を変えし者、その者の名知らず。2008.10.18(SAT)
酒のみの神様
酒飲みの神様がいました。それはそれはいつもいつもお酒を飲んでばかりでした。でもその神様が持っているお酒は不思議な力がありました。そのお酒を神様がかけるとどんな怪我もどんな病気もたちまち良くなってしまいました。不思議な不思議なことでした。ある日酒飲みの神様の元に「重症だ」といわれて運ばれてきたのは、大暴れする男でした。男は自分を連れてきた人たちに乱暴して神様にひどい言葉を投げつけました。神様はその男の頭に器に入ったお酒を全部かけてしまいました。でもその男はぜんぜんよくなりませんでした。馬鹿は神様でも直せないらしい。2008.10.22(WED)
悪霊(あくりょう)
悪霊(あくりょう)などというものはもともと存在しなかった。“悪霊(あくれい)”と呼ばれるものたちは自然界のものたちの中で、死んだ後自らの世界から離れることを拒んだものたちの中にいた。しかし “悪霊(あくれい)”とは自らの世界に他者が入ってくるのを拒み、入ってきた者たちを激しく打ちのめすのを繰り返したものたちのことだった。同様に自らの世界から離れなくとも激しく打ちのめさない者たちは“悪霊”とは言わない。
多くの悪霊は自らの世界の王だった。自らの世界を侵さなければ何人に対しても自ら傷を負わせることはない。
“悪霊(あくりょう)”とは、醜くゆがんだゆえに死をもって力の終わりとなすことができなかったものの“影”にすぎない。
「神の死」に記した“完璧な死”とはゆがみやひずみがなく、軌道も速度も完全に一致した“完全なる正反対の力”との完璧な出会いをいう。例えていえば、100の力に対し100の正反対の力がぶつかれば完璧な死となる。だが100.02に対して100.00の力ではゆがみやひずみが生じる。これらのゆがみやひずみ、軌道のわずかなずれや速度の違いなどにより、完璧な出会いができなかったものにはすべて影ができる。影は自ら死ぬ事ができずもがき苦しむ。これが悪霊(あくりょう)と呼ばれるものとなる。2008.10.28(TUE)
武器
女神あり。平和のため様々な道具を作り続けた。女神の作る道具はとても優れていて、神々はとても喜んだ。神々が喜ぶことを女神はとても喜んだ。しかし女神に自分の夫の死を咎めだてる者が現れた。女神はわけが分からず戸惑った。そして自らの作った道具が平和のためではなく、戦のために使われていることを初めて知った。女神は戦の場に赴き自ら見た。そして戦をするものの長(おさ)を咎めた。「戦ではなく平和のために使うといったはずだ!こんな使い方は私は望んでいない!」戦の長は「平和のために戦っているに過ぎん」といって聞く耳を持たなかった。 女神はあまりのことに誰も信じることができなくなってしまった。女神は道具を作ることができなくなってしまった。2008.11.10(MON)
ヴィシュヌとシヴァ
ヴィシュヌとシヴァは宇宙を創ったブラフマンの息子。兄のヴィシュヌは“創り続ける”しかできず、弟のシヴァは“破壊し続ける”しかできない。しかしブラフマンの創った宇宙の中にしかヴィシュヌとシヴァは存在できない。シヴァはヴィシュヌの創った宇宙を破壊し続けて、ヴィシュヌはシヴァが破壊した世界に新たな宇宙を創り続けている。ヴィシュヌはシヴァが破壊した世界に新たな宇宙を創ることを苦しみとし、シヴァはヴィシュヌの創った世界を破壊し続けることを苦しみとする。ブラフマンは既に役目を終え、宇宙を包む“膜”となった。
ヴィシュヌとシヴァの死
ヴィシュヌはある者をシヴァの破壊から守ろうとし、その者によって猛毒を持つコブラに腕をかまれ命が危ぶまれている。
シヴァはヴィシュヌが死ねばその存在はなくなる。ヴィシュヌの死はまもなく、シヴァはその時を待つしかない。ヴィシュヌが死ねばシヴァは一人では存在できず、シヴァが存在せねばヴィシュヌは動くこともかなわなくなる。それがこの世界の掟。
ヴィシュヌに噛み付きし者、元よりヴィシュヌにより息子の命を奪われ怒り憎しみのうちにいた。シヴァがその者を破壊せんとした時、ヴィシュヌはシヴァのあまりのやり方に、己との過去を知らぬままその者を守った。そのヴィシュヌへの復讐をその者は果たした。
ブラフマン
ブラフマンとは宇宙を創造する根源的エネルギーのことでブラフマーがその力の方向性を示すものとなる。この名前の由来は『ブラウン・キップ(裏が茶色い電車のキップ)』がブラフマンに訛り『ブラウ(ル)・フー(改札口を通る間のキップの流れ)』がブラフ(ウ)マーとなった。切符を購入しただけではまだ特定されていない行動が改札口を通ることによって方向性が定まったことを意味する。
もう一つが『グラフ・ウマ』がブラフマンとなったいきさつもある。これは馬二頭の予測計測値という意味である。
例え:暴風雨を起こす予測計測値 馬V○○値 馬S××値 ある女性に対する進度 馬V0値 馬S1000値
これらの予測計測値からどちらの馬にいくらかけるかなどという予測を立てるという意味。2009.1.6(TUE)
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